向いてない子育て備忘録

どう考えても向いてない

やるなら一思いにやってほしい

時は四月一日。昨日の話だ。朝から雨が降っていて、病院まで歩いていかなければならないわたしのテンションは駄々下がりだ。妊娠して何が煩わしいかと言えば、自転車や自動車に乗ることを制限したことだ。もちろん、乗る人は乗るだろうし、他人がどうしようともわたしはまったく気にしないけれど、わたしは止めた。なぜかというと、もともと運動神経の働きにかなり疑問のある人間であったということがひとつ。もうひとつは、以前、体調不良時に交通事故を起こしたことがあるというものだ。

妊娠がわかる前から、とにかく眠い。ぼんやりしている感が慢性的にある。そのため、自動車を運転するのが嫌なのだ。わたしが住んでいる場所は、駅から徒歩二〇分ほどで、歩こうと思えば余裕で歩ける距離なのだ。もとより運動不足に陥りがちであったわたしには、その程度歩くのはきっと健康にもよかろうと、妊娠発覚からは徒歩移動の割合がかなり増えた。晴れていればいい気分だ。幸い花粉症も出ていないわたしには、春は散歩にもってこい。日々満開へ近づいていく桜の木々を眺めながら、通勤時代の半分くらいの速度でのんびりと駅までの道を歩くことは、なんら苦ではなかった。

しかし雨が降っているとなれば話は別である。

わたしは昔から、傘をさすのが苦手だった。同じ雨の中を同じ傘をさして歩いても、自分はなんだか周りよりも濡れているような気がしたのだ。リュックなどを背負おうものなら、もうリュックの中がズダズダに濡れそぼるほどだった。雨そのものは嫌いではないが、雨の日に、傘をさして出歩かなければならないというのは、わたしにとって最高に嫌なイベントなのだ。

そんなわけで、予約の三〇分前に、嫌々ながら家を出る。レインブーツを履くか、少し水に強いスニーカーで出かけるか迷ったが、病院での待ち時間をレインブーツで過ごすのはちょっと嫌だ。会社で会社履きに履き替えられる状況だったらレインブーツでもいいのだが、レインブーツのまま時間を過ごすのは不快である。そんなわけで、手持ちの中で少しばかりほかの靴より雨に強かろうというスニーカーを選んで、水たまりを避けながら病院に向かう。

桜はすでに満開である。今年は、大騒ぎになってしまったコロナウイルスの影響で、お花見が大幅に規制されている。わたしは生きる上で酒を必要としない人種なので、お花見での酒宴が規制されることには何ら不満を覚えなかったが、いざ、酒宴が開かれている様子が見られなくなると、なんだか寂しいような気がした。どうやら、わたしの春の花見というのは、酒宴をしている人たちを含めて花見の季節を感じることだったらしい。

今日の雨で桜が散ってしまわなければいい、と思いながら、病院に到着する。

 

わたしが妊娠確認のために通っている病院は、産科ではない。不妊治療を主に行う婦人科である。あさイチの枠で予約を取ったのだが、すでに結構人がいた。平日の九時である。昨年までフルタイムの正社員勤務をしていて、かつ不妊治療らしい不妊治療が始まっていなかったわたしにとって、それは驚きに値する。世の中には、いろんな人がいるのだなぁと、不思議に思いながら待合室で腰を下ろす。

結構人はいたものの、一応きちんと予約を取って時間通りに行ったので、さほど待たされることもなく診察室に呼ばれた。いつものおじいちゃん先生だ。少し早口で、少し食い気味に話をするけれど、優しい感じのおじいちゃん先生。まずは内診だ。

タイツとパンツを脱いで内診台に上がる。経腟エコーの機械を突っ込まれて、グリグリッと子宮内を捜索。わたしも自分側に写ったエコーをじっと見る。

(……わからんな。)

胎嚢らしいものはまったくわからない。前回よりももっとわからない。おや?これはもしかしてダメかな、と素人ながらにそう思った。おじいちゃん先生も一生懸命探しているが、胎嚢らしきものが見つからずに首をかしげている様子が伝わってくる。あー、これはダメだったんだな、と内診台で目を閉じて、わたしは心に決める。

今日の帰りに煙草を買って帰ろう。

「本来であれば、このあたりで心拍が確認できてもおかしくない頃なんです。初期の流産かもしれません。」

そういわれても、そんなにショックではなかった。なんとなく、覚悟していたからである。初期流産の確立は十パーセントを超えているそうだ。となると、生来運が悪いわたしであれば、そのくらいの確立、余裕で引けるということだ。

しかしわたしは、それよりも恐ろしい可能性に心臓を震わせていた。

「子宮外の可能性はありますか。」

「今からそれを検査しましょう。」

それは子宮外妊娠である。現在は異所性妊娠というらしい。卵管で好発し、卵管の破裂などの重篤健康被害を発生させる異常妊娠である。発生率は一~三パーセント程度らしいが、わたしは自分にそれ以上の確立があると踏んでいる。

なぜかというと、わたしはもとから両卵管が閉塞しているのではないかと言われていたからだ。閉塞またはちょっとひどいめの狭窄と言ったところだろうか。そして精子卵子より小さいという。つまり、精子が卵管采方面になんとか通行し受精が成立したとしても、受精卵が子宮方面に向かう際に、狭窄部を通過できない、というパターンがあるのではないか、と想像していたからである。そして行き場をなくした受精卵は、仕方なく卵管に…恐ろしい想像である。医師が聞いたら笑うかもしれないが、わたしは大まじめに想像していた。

その想像が合っているかどうかは別として、おじいちゃん先生も異所性妊娠をある程度は疑っているようだ。一般的に、六週で胎嚢が見当たらない場合はまず疑うことが推奨されているようだから、おじいちゃん先生は正しい。HCGホルモン値を調べるために採血をして調べるから、四〇分ほど時間がかかるけどよろしいですか、とおじいちゃん先生は言う。そう、とどめを刺すなら早い方がいい。わたしは検査結果を待ち、とどめを刺してもらうことに決めた。

 

それにしても、今回採血してくれた方は、わたしが今まで当たった中で一番採血が痛かった。針を刺してから動かすのは止めていただきたい。痛くないはずがないのである。

通常に生きていると、採血されることは思いのほか多い。大人になると、なにはともあれまず採血されるというパターンが多い気がする。注射嫌いの私にとってはとってもとっても嫌な傾向だが、いつも我慢してすまし顔を作る。内心では暴れて拒否したいが、それでは話が前に進まないではないか。わたしも大人になったものだ。

そんなこんなで、再び待合室。ますます人が増えている。こんなにたくさんの人が子宮や卵巣の調子が悪かったり、子どもができないことで悩んだりしているのかと思うと、なんとも言えない気持ちになる。待合室に待つたくさんの人に、それぞれの生活があって、なんらかの悩みを抱えているのだと思うと、途方もない気持ちになるのだ。

夫には「今回はダメかもしれない」とラインをした。「また次だね、気にしなくていいよ」とすぐに返ってきた。

 

そうして一時間後、再び診察室に呼ばれる。さて、いかに深刻な顔で迎えてくれることだろうと思っていたおじいちゃん先生は、わたしの予想に反してニッコニコだった。わたしが椅子に座るよりも早く、「ホルモンの数値が素晴らしいですので、流産や子宮外という可能性は低そうです。」と食い気味に話し始めた。わたしとしては、「はぁ、」と相槌を打つので精一杯。予想の一八〇度逆の展開だ。わたしの中で想定されていた最高の展開は、「初期の流産であって、子宮外妊娠ではない」というもので、正常に妊娠が継続している可能性はないものだと考えていたからだ。

「子宮外とかは……?」

「子宮外だとここまで数値が上がりませんし、今のところ可能性は低そうですね。」

「そうですか。」

「もう一度ゆっくり内診で探してみましょうか。」

「じゃあ、よろしくお願いします。」

再び内診台に上がる。再びエコーを突っ込まれて、ぐりぐり、ぐりぐり。いつも思うのだが、エコーでぐりぐりされていると、めちゃくちゃお小水が出そうになる。内診の前には必ずおトイレに行くべきだ。それでも胎嚢らしきものは見つからない。

「見つからないですねぇ……」

おじいちゃん先生も納得がいかない様子。ホルモンの値からすると、妊娠自体は順調なはずで、週数的には胎嚢が見えて、心拍が確認できてもおかしくない、というか確認できるべき時期なのだ。おじいちゃん先生、一生懸命探す。しばらく探しても、はっきり見つけることはできない。カーテンの向こうからひそひそ声が聞こえる。

「これじゃないですか……?」

と、看護師さんの声。

「これぇ……?う~ん、じゃあ、これかぁ……。」

とおじいちゃん先生。

実に適当である。思わず苦笑いしてしまった。もう少し聞こえないようにヒソヒソしていただきたい。そんなわけで、これじゃないの?とアテをつけたところをマークして、いつになく長いエコーが終わった。エコー写真をもらうも、なんのこっちゃわからない。むしろ先週の方がよっぽどそれっぽかった。

ちなみに、週数の勘違いについては概ね否定されると思う。なぜかというと、先月はフーナーテスト兼タイミングを取ったような格好で、その際にしっかり排卵を確認されているのである。

「なんかまだよく見えない。」

おじいちゃん先生は、意外とはっきり言った。そして、また土曜日に来てくれと言われた。今のところ、異常は認められないし、緊急を要するような事態でもないので、この後少し遅れても胎嚢がはっきり確認できるようになってくればそれでいいのだ、と励まされた。

ああ、また煙草を買えなくなってしまった。

なんのこっちゃわからないエコー写真を見つめながら、うれしいような、悲しいような、なんとも言えない気持ちになった。

 

次は土曜日。四月四日。