向いてない子育て備忘録

どう考えても向いてない

イライラして仕方がない

先週から悪阻らしき体調不良が続いている。それほど重いものでもないようで、私は今のところ一度も吐いていない。ただ、脂っぽい匂いが嫌になったり、常に胸焼けがしているような感覚があって、しかしマックには行きたいしチキンも食べたいという支離滅裂状態である。ディスプレイを長時間見つめていると乗り物酔いのような気持ち悪さがあって、どうにも長時間作業していられない。仕事もはかどらないのである。

そんな体調不良も、自分の腹の中で子どもが育っているからこそ起きているものなのでは?と珍しく前向きに、気持ち悪さとお付き合いしながら考えた一週間であった。

そして本日四月一七日、順調であれば産院への転院手続きを取ると言われていた診察の日だ。結論から申し上げると、本日、不妊治療病院を卒業することは叶わなかった。また来週、と言われて、もういい加減にしてくれ、とため息を吐くほかなかった。

先週、グリグリの限りを尽くしてようやく確認した心拍であったが、今回はつっこんでそのまますっきり見えていた。胎嚢そのものはかなり大きくなっているようで、お、今日はすんなり見えた、と思った。しかし心拍は見えずらい、なんとなくここだろう、という感じで、本来週数的に見えてくるはずの胎芽が見えないとのこと。

 

いや実は、先週あたりからぼんやり考えてはいたのだが、常に一週間遅れくらいでスケジュールが進んでいる。今週は8週目らしいが、本来8週目でみられるべき変化は来週にならないと見えないのではないだろうか。

コロナの自粛でどこにも行けない&いろんなお店がやってない、のコンボでめちゃめちゃにストレスを感じていた私にはもう限界である。煙草も吸いたいし、もっとごはんをおいしく食べたい。お茶も気にせずガブガブ飲みたいし、スターバックスコーヒーに行ってキャラメルフラペチーノのベンティサイズを頼んで震えたい。タイ料理の激辛を思う存分楽しみたい。

妊婦が妊婦として正式に認められるまで、こんなに長い時間があるなんて知らなんだ。陽性反応が出て胎嚢確認出来たらほいほい母子手帳をもらえるんだと思っていたし、検診なんていつも問題なし、順調!で終わるもんだと思っていた。実にしんどい。妊娠しているけど社会的に妊婦として認められていない期間がとってもしんどい。自分でもどうしたらいいのかよくわからないのだ。準備をしすぎていざダメだった時のダメージを想像したり、ダメだった時はどういう流れで処理するのだろうと検索したり、脳は悪い方向に向きがちである。

あーーーーーーーーーーもう嫌である。

わからないままに決めるほかない

本日、四月一〇日。

数日前から、立ち眩みと乗り物酔いの間にいるかのような気分の悪さが断続的に襲ってくるようになった。これが世にいうつわりなのだろうか。これ以上ひどくならないでいただきたい。

さて、土曜日の婦人科を避けて金曜日の診療を希望した私は、道中に気分が悪くならないことを祈りながら婦人科に向かった。平日日中はさすがに人もそう多くなく、待ち時間もほぼなかった。

内診台に上がって、内診を待つ。

前回、かなりグリグリされてしんどかったことから、おそらく今回もかなりグリグリされるんじゃないかと予想。心の準備を進めていた。

「あ、この子こないだも見えにくかった子ね!」

ともっとおじいちゃん先生の声が聞こえる。めっちゃ痛い。グリグリしないと見えないことを学習しているもっとおじいちゃん先生はマジで本当に容赦がない。子宮をガンガンに圧迫し、胎嚢を探す。それもそのはず、今日は心拍を確認しなければならない日だったのである。

前回のHCG検査で、数値が一万を超えてた私は、いい加減心拍が確認できなければならなかった。もっとおじいちゃん先生は心拍を確認すべく、ガンガン押してくる。超痛い。めっちゃ痛い。

どうやら、胎嚢は経腟エコーで見えずらい場所にあるらしい。あとからおじいちゃん先生に聞いたが、胎児の成長に支障があるということはないそうで、少し安心した。

「あった!」

まるで宝物を見つけた少年のようなもっとおじいちゃん先生の声。明らかに先週よりも大きくなった胎嚢の中に、ピコピコと写った心拍を確認。正直痛すぎて早く終わりにしてほしかったので、じっくり見ることはできなかったけれど、無事に成長してくれているようで一安心である。胎嚢の大きさも七週相当で問題もない。

来週にもう一度診療して、問題がなければ産院への紹介状を書いてくれるそうだ。産院を決めておいてね、と言われた。

 

産院を決める場合、自分の地元に住居を有していれば、自分が産まれた産院を選ぶこともあるのだろう。里帰りを考えている人もそうだ。

しかし私は現在地元を離れた場所に住んでいるし、里帰り出産も考えていない。よって、縁もゆかりも持たない土地で、同じ場所に住んでいる友人もいない状態で産院を探さなければならない。

一か八か、とでも言おうか。ネットの口コミだけを鵜呑みにすることは愚かだとは思うが、現状の私にはそれ以外に情報を収集する手段がない。いいらしいよ、よりも、ここがいやだった、という声を中心に収集し、自分が本当に嫌だと思う部分に対する不満ができるだけあがっていない病院にしようと思った。そして、結果的にその病院がよくても悪くても、仕方ない。こればかりは、実際に産んでみなければわかるまい。

それではここにしようか、と思い、分娩予約の状況をネットで確認すると、まだ11月のカレンダーも上がっておらず、とりあえず予定的には大丈夫そう。しかし、紹介状を書いてくれるということだったが、紹介状を書いてもらう前に産院に連絡をするべきものなのだろうか?事前に問い合わせをするべき?と首をひねる。明日電話でもして聞いてみようかとは思っているが、そのへんの手続きもまったく手探りである。

一人目の出産は当然だがみなさま初めてなわけで、どうやって出産まで恙なく事態を運んでいるのか教えていただきたいと思った。母子手帳もまだもらっていないが、来週あたりにもらいに行って来いといわれるだろうか。自治体によって違うというのも本当にやっかいで、できれば全国で統一していただきたい。

 

 

そんなわけで、産院選びに唸りながら、一週間を過ごす。

先週までの状況と一転、経過はいたって順調である。

とりあえず、マクドナルドに行こう

時は四月四日。土曜日の婦人科はこの日も大混雑で、自分が落ち着いて腰かけていられる場所を探すのに少しだけ苦労した。いつも通り、予約の一〇分前に到着して自分の順番を待っていた。

近頃、心なしかお手洗いが近くなったような気がする。本当に近くなっているのか、それともただの気のせいだかわからないが、夜中に何度も目が覚める。また夜と言えば、眠ろうとすると足先が妙に熱く感じて、よく寝付けない時もある。もとから寝付きがいい方ではなかったが、頻度が増えると困ってしまう。昨日分かったのだが、足先が熱くて眠れないとき、着圧ソックスを履くと状況が改善するようだ。これはわたしだけなのだろうか。それともある程度万人向けの対策になるだろうか。

お手洗いを済ませて診察室の前に進む。前回や、前々回に比べると、だいぶと緊張感がなくなってきた。前回も申し上げた通り、やるなら一思いにやってほしいのだ。今のところ決定打なくだらだらと時間が過ぎているが、問題がない状態で進んでいるのではない。よって、いつなんどきダメになるかもわからないのだ。ダメになるなら早い方がいい。傷も浅くて済むだろうし、私が煙草を我慢する期間も短くなる。本日も、無事に心拍確認とはいかないのだろうな、と、ぼんやり考えていた。

内診台に上がって、再びぐりぐり。それでもやっぱり、胎嚢はよく見えなかった。相変わらず、これであろうという疑わしい陰はあるものの、これに間違いない!とは自分でも思えない。いるのか、いないのか。今日もはっきりしないままである。

そんなわけで、経腟エコーで胎嚢をはっきり確認できなかった私に、おじいちゃん先生はまた血液検査をしてみましょうと言い渡すのであった。

混んでいる婦人科の待合室で、小一時間ほど待った。病院の待合室というのは、人が密集していて、換気がされない。中でおしゃべりに興じている人はいないけれど、受付の人や看護婦さんが患者さんを呼ぶ声は頻繁に聞こえる。現在大騒ぎになっているコロナウイルスに対して、あまりいい状態ではないだろう。それでもみんな、ここに通う。不思議な気分だった。

 

そういえば、コロナウイルスの流行期において、不妊治療のスケジュールについての要請があったと聞く。体外受精などで妊娠時期をコントロールできる患者さんたちについて、流行が収束するか、妊婦に問題なく使える薬品が開発されるまで、妊娠を自粛してほしいとの内容だ。

その指示自体には、概ね賛成である。妊娠を理由にして有効な対症療法を行うことができずに本人が苦しむことはできれば避けるべきであると考えた。また、妊娠初期に感染して障害が残る可能性はゼロではないし、障害が残るかどうかを確認する手立てはない。未知の感染症を前にして、警戒を促すのは至極真っ当であるように思う。

しかし、不妊治療には年齢や、卵子の老化など、時間を無駄にできない側面があるということも、私は知っている。私も不妊について、一年半程度ではあるが悩んできたのだ。自分の卵巣年齢が、実年齢よりもはるかに歳をとっていたらどうするか。そんなことを考えたりもした。不妊治療は早ければ早いほどいい。それは、どんな資料を見ても、誰の情報を聞いても、間違いようがない事実であるように感じたのだ。

このコロナウイルス騒動は、いったいいつになったら収束するのだろう。インフルエンザのように、春の訪れとともに収まっていくものなのだろうか。それとも、秋、冬まで広がり続けるのだろうか。私にはわからない。いつ収束するかもわからない伝染病を原因として、不妊治療を遅らせてくれと要請されるというのは、なんともいえず複雑な気持ちだ。理性では理解できるし、納得できるが、感情となると、そうはいかない人もたくさんいるだろう、と考える。私は、もし今回の妊娠がダメになった時、事態の収束を大人しく待てるだろうか。正直なところ、甚だ疑問である。

 

そんなこんなで、ホルモン値の結果が出たらしい。私は自分のホルモン値を確認するより前に、再度内診台に上がることになった。おや、と思う。どうやら、いつも診てくれているおじいちゃん先生ではないようだ。おじいちゃん先生がとうとうヘルプを出したということだろうか。今日はちょっと、念入りに探しますよ、と気合が入った声掛けを受け、よろしくお願いします、と、返事をした。

確かに念入りだった。グリグリ、グリ、グリリ、と、膣内全域を隈なく駆け巡るようなエコーだった。声を上げる程痛くはなかったが、鈍痛はあったし、そんなにグリグリしても大丈夫なものなのか、と、感心してしまった。妊娠しているかもしれないと思うと、日常の所作もそーっとしてしまいがちな私、目から鱗

先ほどとは違う診察室に呼ばれて対面してみれば、いつものおじいちゃん先生よりももっとおじいちゃん先生だった。声に張りがあって、物言いもはっきりした感じだったので、もっとお若いのかと思っていたら、確実に腰が曲がっているおじいちゃんだった。

子宮の中に胎嚢があるのは間違いない。見えづらいだけ。ホルモン値もかなりいい状態なので、これで来週胎嚢が大きくなっていれば、問題なく成長するでしょう、とのことだ。またこれだ、と私は若干呆れたが、それでも、もっとおじいちゃん先生は子宮外妊娠の可能性はほぼ認められない、と、今までのおじいちゃん先生よりもはっきり言った。腺筋症っぽいから、見えずらいだけでしょうと笑ったもっとおじいちゃん先生に、ほんとですかね、とちょっとうんざりした感じで返事をしてしまった。

腺筋症ってなんだろう、と、会計までの間にすかさず検索。子宮内膜症のちょっと変わったやつだった。流産率や早産率が、子宮内膜症よりも大分高いらしい。あー、また自分の身体の良くないところを知ってしまった、と、頭痛がする思いだった。

 

そんなわけで、子宮外妊娠の危険性がほぼ消えたことで、3日おきの通院から解放されたらしい。次は一週間後、と言われたとき、正直ホッとした。しかし一週間後で土曜日に来るのは嫌だ。やはり土曜日は混んでいる。金曜日に予約を入れて、晴れやかでもない足取りで病院を出る。

そうだ、マックに行こう、煙草はダメでも、マックならいいだろう。

毎日食べているわけでもないし、食べたいと思った時に食べたいものを食べないなんて、わたしには考えられないことだ。

旦那にマックへ行こう、と連絡だけ入れて、歩き出す。

 

次は四月一〇日、金曜日。

やるなら一思いにやってほしい

時は四月一日。昨日の話だ。朝から雨が降っていて、病院まで歩いていかなければならないわたしのテンションは駄々下がりだ。妊娠して何が煩わしいかと言えば、自転車や自動車に乗ることを制限したことだ。もちろん、乗る人は乗るだろうし、他人がどうしようともわたしはまったく気にしないけれど、わたしは止めた。なぜかというと、もともと運動神経の働きにかなり疑問のある人間であったということがひとつ。もうひとつは、以前、体調不良時に交通事故を起こしたことがあるというものだ。

妊娠がわかる前から、とにかく眠い。ぼんやりしている感が慢性的にある。そのため、自動車を運転するのが嫌なのだ。わたしが住んでいる場所は、駅から徒歩二〇分ほどで、歩こうと思えば余裕で歩ける距離なのだ。もとより運動不足に陥りがちであったわたしには、その程度歩くのはきっと健康にもよかろうと、妊娠発覚からは徒歩移動の割合がかなり増えた。晴れていればいい気分だ。幸い花粉症も出ていないわたしには、春は散歩にもってこい。日々満開へ近づいていく桜の木々を眺めながら、通勤時代の半分くらいの速度でのんびりと駅までの道を歩くことは、なんら苦ではなかった。

しかし雨が降っているとなれば話は別である。

わたしは昔から、傘をさすのが苦手だった。同じ雨の中を同じ傘をさして歩いても、自分はなんだか周りよりも濡れているような気がしたのだ。リュックなどを背負おうものなら、もうリュックの中がズダズダに濡れそぼるほどだった。雨そのものは嫌いではないが、雨の日に、傘をさして出歩かなければならないというのは、わたしにとって最高に嫌なイベントなのだ。

そんなわけで、予約の三〇分前に、嫌々ながら家を出る。レインブーツを履くか、少し水に強いスニーカーで出かけるか迷ったが、病院での待ち時間をレインブーツで過ごすのはちょっと嫌だ。会社で会社履きに履き替えられる状況だったらレインブーツでもいいのだが、レインブーツのまま時間を過ごすのは不快である。そんなわけで、手持ちの中で少しばかりほかの靴より雨に強かろうというスニーカーを選んで、水たまりを避けながら病院に向かう。

桜はすでに満開である。今年は、大騒ぎになってしまったコロナウイルスの影響で、お花見が大幅に規制されている。わたしは生きる上で酒を必要としない人種なので、お花見での酒宴が規制されることには何ら不満を覚えなかったが、いざ、酒宴が開かれている様子が見られなくなると、なんだか寂しいような気がした。どうやら、わたしの春の花見というのは、酒宴をしている人たちを含めて花見の季節を感じることだったらしい。

今日の雨で桜が散ってしまわなければいい、と思いながら、病院に到着する。

 

わたしが妊娠確認のために通っている病院は、産科ではない。不妊治療を主に行う婦人科である。あさイチの枠で予約を取ったのだが、すでに結構人がいた。平日の九時である。昨年までフルタイムの正社員勤務をしていて、かつ不妊治療らしい不妊治療が始まっていなかったわたしにとって、それは驚きに値する。世の中には、いろんな人がいるのだなぁと、不思議に思いながら待合室で腰を下ろす。

結構人はいたものの、一応きちんと予約を取って時間通りに行ったので、さほど待たされることもなく診察室に呼ばれた。いつものおじいちゃん先生だ。少し早口で、少し食い気味に話をするけれど、優しい感じのおじいちゃん先生。まずは内診だ。

タイツとパンツを脱いで内診台に上がる。経腟エコーの機械を突っ込まれて、グリグリッと子宮内を捜索。わたしも自分側に写ったエコーをじっと見る。

(……わからんな。)

胎嚢らしいものはまったくわからない。前回よりももっとわからない。おや?これはもしかしてダメかな、と素人ながらにそう思った。おじいちゃん先生も一生懸命探しているが、胎嚢らしきものが見つからずに首をかしげている様子が伝わってくる。あー、これはダメだったんだな、と内診台で目を閉じて、わたしは心に決める。

今日の帰りに煙草を買って帰ろう。

「本来であれば、このあたりで心拍が確認できてもおかしくない頃なんです。初期の流産かもしれません。」

そういわれても、そんなにショックではなかった。なんとなく、覚悟していたからである。初期流産の確立は十パーセントを超えているそうだ。となると、生来運が悪いわたしであれば、そのくらいの確立、余裕で引けるということだ。

しかしわたしは、それよりも恐ろしい可能性に心臓を震わせていた。

「子宮外の可能性はありますか。」

「今からそれを検査しましょう。」

それは子宮外妊娠である。現在は異所性妊娠というらしい。卵管で好発し、卵管の破裂などの重篤健康被害を発生させる異常妊娠である。発生率は一~三パーセント程度らしいが、わたしは自分にそれ以上の確立があると踏んでいる。

なぜかというと、わたしはもとから両卵管が閉塞しているのではないかと言われていたからだ。閉塞またはちょっとひどいめの狭窄と言ったところだろうか。そして精子卵子より小さいという。つまり、精子が卵管采方面になんとか通行し受精が成立したとしても、受精卵が子宮方面に向かう際に、狭窄部を通過できない、というパターンがあるのではないか、と想像していたからである。そして行き場をなくした受精卵は、仕方なく卵管に…恐ろしい想像である。医師が聞いたら笑うかもしれないが、わたしは大まじめに想像していた。

その想像が合っているかどうかは別として、おじいちゃん先生も異所性妊娠をある程度は疑っているようだ。一般的に、六週で胎嚢が見当たらない場合はまず疑うことが推奨されているようだから、おじいちゃん先生は正しい。HCGホルモン値を調べるために採血をして調べるから、四〇分ほど時間がかかるけどよろしいですか、とおじいちゃん先生は言う。そう、とどめを刺すなら早い方がいい。わたしは検査結果を待ち、とどめを刺してもらうことに決めた。

 

それにしても、今回採血してくれた方は、わたしが今まで当たった中で一番採血が痛かった。針を刺してから動かすのは止めていただきたい。痛くないはずがないのである。

通常に生きていると、採血されることは思いのほか多い。大人になると、なにはともあれまず採血されるというパターンが多い気がする。注射嫌いの私にとってはとってもとっても嫌な傾向だが、いつも我慢してすまし顔を作る。内心では暴れて拒否したいが、それでは話が前に進まないではないか。わたしも大人になったものだ。

そんなこんなで、再び待合室。ますます人が増えている。こんなにたくさんの人が子宮や卵巣の調子が悪かったり、子どもができないことで悩んだりしているのかと思うと、なんとも言えない気持ちになる。待合室に待つたくさんの人に、それぞれの生活があって、なんらかの悩みを抱えているのだと思うと、途方もない気持ちになるのだ。

夫には「今回はダメかもしれない」とラインをした。「また次だね、気にしなくていいよ」とすぐに返ってきた。

 

そうして一時間後、再び診察室に呼ばれる。さて、いかに深刻な顔で迎えてくれることだろうと思っていたおじいちゃん先生は、わたしの予想に反してニッコニコだった。わたしが椅子に座るよりも早く、「ホルモンの数値が素晴らしいですので、流産や子宮外という可能性は低そうです。」と食い気味に話し始めた。わたしとしては、「はぁ、」と相槌を打つので精一杯。予想の一八〇度逆の展開だ。わたしの中で想定されていた最高の展開は、「初期の流産であって、子宮外妊娠ではない」というもので、正常に妊娠が継続している可能性はないものだと考えていたからだ。

「子宮外とかは……?」

「子宮外だとここまで数値が上がりませんし、今のところ可能性は低そうですね。」

「そうですか。」

「もう一度ゆっくり内診で探してみましょうか。」

「じゃあ、よろしくお願いします。」

再び内診台に上がる。再びエコーを突っ込まれて、ぐりぐり、ぐりぐり。いつも思うのだが、エコーでぐりぐりされていると、めちゃくちゃお小水が出そうになる。内診の前には必ずおトイレに行くべきだ。それでも胎嚢らしきものは見つからない。

「見つからないですねぇ……」

おじいちゃん先生も納得がいかない様子。ホルモンの値からすると、妊娠自体は順調なはずで、週数的には胎嚢が見えて、心拍が確認できてもおかしくない、というか確認できるべき時期なのだ。おじいちゃん先生、一生懸命探す。しばらく探しても、はっきり見つけることはできない。カーテンの向こうからひそひそ声が聞こえる。

「これじゃないですか……?」

と、看護師さんの声。

「これぇ……?う~ん、じゃあ、これかぁ……。」

とおじいちゃん先生。

実に適当である。思わず苦笑いしてしまった。もう少し聞こえないようにヒソヒソしていただきたい。そんなわけで、これじゃないの?とアテをつけたところをマークして、いつになく長いエコーが終わった。エコー写真をもらうも、なんのこっちゃわからない。むしろ先週の方がよっぽどそれっぽかった。

ちなみに、週数の勘違いについては概ね否定されると思う。なぜかというと、先月はフーナーテスト兼タイミングを取ったような格好で、その際にしっかり排卵を確認されているのである。

「なんかまだよく見えない。」

おじいちゃん先生は、意外とはっきり言った。そして、また土曜日に来てくれと言われた。今のところ、異常は認められないし、緊急を要するような事態でもないので、この後少し遅れても胎嚢がはっきり確認できるようになってくればそれでいいのだ、と励まされた。

ああ、また煙草を買えなくなってしまった。

なんのこっちゃわからないエコー写真を見つめながら、うれしいような、悲しいような、なんとも言えない気持ちになった。

 

次は土曜日。四月四日。

想定外の妊娠発覚についての率直な感想

二〇二〇年三月二四日火曜日。ふと思い立って、妊娠検査薬を使う。

 

思い当たる節があったが、まさかそんなことはあるまいと、妊娠していないことを確認するために検査薬を使おうと思った。

わたしはこの一年間、妊娠を期待して何度も検査薬を使用していたが、一度たりとも陽性反応は出なかったのだ。そして、一年間避妊をせずに妊娠に至らなかった場合には、不妊治療を始めてみるのがよい、と、インターネットのどこかで聞いたことがあったので、婦人科に通ってみることにした。生理周期に合わせて次々と行われる検査になされるがままになりながら、わたし自身の身体に問題があることが発覚した。

卵管造影検査、という検査、不妊治療に臨もうと思った方ならみなさまご存知だとは思うけれど、この検査、個人差はあるがかなり痛いらしい。悶絶ししばらく起き上がれないだとか、吐き気がするほどの痛みだとか、検査を受けるのが嫌でたまらなくなるので、検査前日に体験談を検索するのはおすすめできない。かくいうわたしは完膚なきまでにネットで体験談を読みまくり、怯え震えた状態で検査に臨んだ、立派なバカであった。

しかしながら、わたしの怯えと覚悟を裏切り、卵管造影剤検査はまったく痛くなかった。それはきっと、圧をかけてみるまでもなく、わたしの卵管が両方とも完全に詰まってしまっていたかららしい。想像していた痛みはなかったが、割とショックだった。

避妊をせずに一年以上妊娠しないなら、なにか問題があるかもしれないから病院に行ってみろ。わたしはそう聞いて病院にいったわけだから、なにかしら問題はあるのだろうと思っていた。しかし、実際に自分の身体に、もっと平たく言うと妊孕性に問題があるとはっきりわかってしまうと、案外ショックだった。

そんな感じでショックを受けながらも、卵管形成術を受けるか、直接体外受精にステップアップするのか、現実的に悩んでいた。どっちにしても出費はあるのだから、可能性が高い方にかけてみたいなぁとは思った。幸いにAMHなどの数値はかなり良好で、治療を急ぐ理由もなく、そして現在の住居に引っ越して一年間が経過しないと高度生殖治療の女性を満額受けることができないということもわかったので、とりあえず夏まで、考えながらダメもとでタイミングを取ってみようと、そんなことを考えていた。

そんなわけで、本来卵管が閉塞しているはずの絶対不妊要素持ちであると思っていたので、正直妊活らしいこともまったく意識せずに過ごしていた。わたしはもとより愛煙家で、何度か禁煙を試みるも失敗していた。褒められたことでないのは承知しているが、タイミングをとってはいたもののスッパスパに煙草を吸っていた。そろそろお別れだろうから、悔いの残らないように吸っておこう。禁煙が失敗する典型的な考え方だが、おかげさまでのんびりと過ごせた。

 

なので、正直、陽性の二本線を見たとき、かなり動揺した。

嬉しいとは感じなかった。

なんでやねん。卵管詰まってるんじゃないんかい。

たぶんそれだけだ。喜ばないといけないような気がしたので、夫に伝えるときは少しうれしそうに装ってみたけれど、内心ちっともうれしくなかった。四月になったら、焼き肉を食べに行ったり友だちの子どもに会いに地元に帰ったりしようと思っていた矢先だったし、そして何より、予期せぬ煙草との別れ。安心しながら煙草を吸うために検査薬を使ったのに、結果として突然の強制禁煙をせざるを得なくなってしまった。

えー、やばい、無理、いざできてみるとまじで無理。

批判を恐れずに言うとそれが正直なところで、今になって考えると、わたしは”不妊治療をしたけど子どもはできなかった”という答えがベストだと感じていたのではないか。わたしが身を置いている環境では、みんながみんな”はよ子どもを産め”とせっついてくることはなかった。それでも、なんとなく”結婚して子どもを産む”というのが正規ルートのような気がしてならないのだ。わたしがほんのちょっとだけ昭和に生まれて、田舎で育ったせいにしていいのかはわからないが、実際、自分の中にある暗黙の世の理というのはそういう形をしているのだ。生き辛いが、悪いことではないと思う。自分の人生の正解は、自分がそれでよければ何ら問題ないのだ。それを他人に押し付けなければ、どんな幸せを思い描くかは自由。わたしはそう思う。

なので、わたしの価値観の中で、結婚して子どもを育てるという正規ルートが存在していた。しかしながら、自分がそれに向いていない気配をビンビンに感じる。屁理屈好きで理不尽が嫌いなわたしが、屁理屈が通じず理不尽の嵐に見舞われる育児など全うできるだろうか。友人たちの子どもはかわいい。そして育児をしている友人たちを心の底から尊敬している。わたしがそうなれるのかと言われると、いや~、ちょっと厳しくない?と、思わざるをえない。覚悟が足りないと言ってしまうとそこまでだ。それは三〇年と少々生きてきたわたしが体感的に感じていることで、他人に否定されたところで納得できるような種類の認識ではない。

だから、実際には、子どものいない夫婦だけの人生というものに魅力を感じていたのは事実なのだ。子どもがいるよりも金銭的に余裕ができるのは間違いなく、そしてわたしは今の夫との生活を気に入っている。結婚するまえよりもずっと穏やかに、大らかに暮らせるようになった。それはひとえに夫の人柄のおかげなのだが、それはまた後日に語りたいと思う。

そう、わたしは本当は、子どもを望んでいなかったのではないかと思う。ただ、正規ルートを外れる手前、”やれることはやった”という言い訳がほしかった。そのために不妊治療をしようとしていた。頭がおかしいと思う人もいるかもしれないし、絶対に間違っていると糾弾したい人もいるだろうが、それはぜひ胸に収めてほしい。自分の価値観は、人に押し付けてはいけないものだ。

 

そんなこんなで、陽性反応が出たものの、全然うれしくない。それどころかなんかめっちゃ不安。これから人生で一番痛いイベントを経験するかもしれない。卵管詰まっているのだから、陽性反応出ているけれど異所性妊娠かもしれない。初期流産で大量出血するかも、おなかが痛くなるかも。怖いことばっかりやんけ、と布団の中で文句を垂れる。

いや、それでも、とりあえず、できたもんは育ててみようという気持ちがあるのも事実。正規ルートだからというだけではなく、ただ純然たる興味もある。

人間を育てるというのは、いったいどんな感じなんだろう。

人間が成長するというのは、間近で見るとどんな感じなんだろう。

世の中にはたくさんの人間がいて、それぞれみんなが産まれて育ってきたのだと思うとわたしはそれが不思議でならない。それぞれの環境で育って、なんか全然違ってて、とても面白い。ムカつくやつも、痺れるほどイケてるやつも、みんな”成長”して現在があることが不思議だ。

そう、あとはそうだ、世の中にはこんなにたくさん人間がいるのだから、子育てだってある程度どうにかなるはずだ、という、意味のわからない前向きな考えもある。完璧な人生を送れるようにサポートするなんて到底無理だけど、なんかやりたいことでも見つけて、少なくてもいいから友だちができて、死ぬときに”楽しかった”と思えるくらいの生き方ができるように育てられたら十全だと思っている。

 

そんなわけで、向いていなそうな育児の記録を後年のためにつけようと思う。長い日も短い日もあると思うし、生来飽き性なので、もしかしたら続かないかもしれないけれど、見守っていただきたいと思う。

本日二〇二〇年三月二七日、通っていた婦人科にて妊娠確認を試みるも、胎嚢がはっきり確認できなかった。まだ異所性妊娠の可能性があると想定されるので、次は四月一日に来てほしいとのこと。