向いてない子育て備忘録

どう考えても向いてない

想定外の妊娠発覚についての率直な感想

二〇二〇年三月二四日火曜日。ふと思い立って、妊娠検査薬を使う。

 

思い当たる節があったが、まさかそんなことはあるまいと、妊娠していないことを確認するために検査薬を使おうと思った。

わたしはこの一年間、妊娠を期待して何度も検査薬を使用していたが、一度たりとも陽性反応は出なかったのだ。そして、一年間避妊をせずに妊娠に至らなかった場合には、不妊治療を始めてみるのがよい、と、インターネットのどこかで聞いたことがあったので、婦人科に通ってみることにした。生理周期に合わせて次々と行われる検査になされるがままになりながら、わたし自身の身体に問題があることが発覚した。

卵管造影検査、という検査、不妊治療に臨もうと思った方ならみなさまご存知だとは思うけれど、この検査、個人差はあるがかなり痛いらしい。悶絶ししばらく起き上がれないだとか、吐き気がするほどの痛みだとか、検査を受けるのが嫌でたまらなくなるので、検査前日に体験談を検索するのはおすすめできない。かくいうわたしは完膚なきまでにネットで体験談を読みまくり、怯え震えた状態で検査に臨んだ、立派なバカであった。

しかしながら、わたしの怯えと覚悟を裏切り、卵管造影剤検査はまったく痛くなかった。それはきっと、圧をかけてみるまでもなく、わたしの卵管が両方とも完全に詰まってしまっていたかららしい。想像していた痛みはなかったが、割とショックだった。

避妊をせずに一年以上妊娠しないなら、なにか問題があるかもしれないから病院に行ってみろ。わたしはそう聞いて病院にいったわけだから、なにかしら問題はあるのだろうと思っていた。しかし、実際に自分の身体に、もっと平たく言うと妊孕性に問題があるとはっきりわかってしまうと、案外ショックだった。

そんな感じでショックを受けながらも、卵管形成術を受けるか、直接体外受精にステップアップするのか、現実的に悩んでいた。どっちにしても出費はあるのだから、可能性が高い方にかけてみたいなぁとは思った。幸いにAMHなどの数値はかなり良好で、治療を急ぐ理由もなく、そして現在の住居に引っ越して一年間が経過しないと高度生殖治療の女性を満額受けることができないということもわかったので、とりあえず夏まで、考えながらダメもとでタイミングを取ってみようと、そんなことを考えていた。

そんなわけで、本来卵管が閉塞しているはずの絶対不妊要素持ちであると思っていたので、正直妊活らしいこともまったく意識せずに過ごしていた。わたしはもとより愛煙家で、何度か禁煙を試みるも失敗していた。褒められたことでないのは承知しているが、タイミングをとってはいたもののスッパスパに煙草を吸っていた。そろそろお別れだろうから、悔いの残らないように吸っておこう。禁煙が失敗する典型的な考え方だが、おかげさまでのんびりと過ごせた。

 

なので、正直、陽性の二本線を見たとき、かなり動揺した。

嬉しいとは感じなかった。

なんでやねん。卵管詰まってるんじゃないんかい。

たぶんそれだけだ。喜ばないといけないような気がしたので、夫に伝えるときは少しうれしそうに装ってみたけれど、内心ちっともうれしくなかった。四月になったら、焼き肉を食べに行ったり友だちの子どもに会いに地元に帰ったりしようと思っていた矢先だったし、そして何より、予期せぬ煙草との別れ。安心しながら煙草を吸うために検査薬を使ったのに、結果として突然の強制禁煙をせざるを得なくなってしまった。

えー、やばい、無理、いざできてみるとまじで無理。

批判を恐れずに言うとそれが正直なところで、今になって考えると、わたしは”不妊治療をしたけど子どもはできなかった”という答えがベストだと感じていたのではないか。わたしが身を置いている環境では、みんながみんな”はよ子どもを産め”とせっついてくることはなかった。それでも、なんとなく”結婚して子どもを産む”というのが正規ルートのような気がしてならないのだ。わたしがほんのちょっとだけ昭和に生まれて、田舎で育ったせいにしていいのかはわからないが、実際、自分の中にある暗黙の世の理というのはそういう形をしているのだ。生き辛いが、悪いことではないと思う。自分の人生の正解は、自分がそれでよければ何ら問題ないのだ。それを他人に押し付けなければ、どんな幸せを思い描くかは自由。わたしはそう思う。

なので、わたしの価値観の中で、結婚して子どもを育てるという正規ルートが存在していた。しかしながら、自分がそれに向いていない気配をビンビンに感じる。屁理屈好きで理不尽が嫌いなわたしが、屁理屈が通じず理不尽の嵐に見舞われる育児など全うできるだろうか。友人たちの子どもはかわいい。そして育児をしている友人たちを心の底から尊敬している。わたしがそうなれるのかと言われると、いや~、ちょっと厳しくない?と、思わざるをえない。覚悟が足りないと言ってしまうとそこまでだ。それは三〇年と少々生きてきたわたしが体感的に感じていることで、他人に否定されたところで納得できるような種類の認識ではない。

だから、実際には、子どものいない夫婦だけの人生というものに魅力を感じていたのは事実なのだ。子どもがいるよりも金銭的に余裕ができるのは間違いなく、そしてわたしは今の夫との生活を気に入っている。結婚するまえよりもずっと穏やかに、大らかに暮らせるようになった。それはひとえに夫の人柄のおかげなのだが、それはまた後日に語りたいと思う。

そう、わたしは本当は、子どもを望んでいなかったのではないかと思う。ただ、正規ルートを外れる手前、”やれることはやった”という言い訳がほしかった。そのために不妊治療をしようとしていた。頭がおかしいと思う人もいるかもしれないし、絶対に間違っていると糾弾したい人もいるだろうが、それはぜひ胸に収めてほしい。自分の価値観は、人に押し付けてはいけないものだ。

 

そんなこんなで、陽性反応が出たものの、全然うれしくない。それどころかなんかめっちゃ不安。これから人生で一番痛いイベントを経験するかもしれない。卵管詰まっているのだから、陽性反応出ているけれど異所性妊娠かもしれない。初期流産で大量出血するかも、おなかが痛くなるかも。怖いことばっかりやんけ、と布団の中で文句を垂れる。

いや、それでも、とりあえず、できたもんは育ててみようという気持ちがあるのも事実。正規ルートだからというだけではなく、ただ純然たる興味もある。

人間を育てるというのは、いったいどんな感じなんだろう。

人間が成長するというのは、間近で見るとどんな感じなんだろう。

世の中にはたくさんの人間がいて、それぞれみんなが産まれて育ってきたのだと思うとわたしはそれが不思議でならない。それぞれの環境で育って、なんか全然違ってて、とても面白い。ムカつくやつも、痺れるほどイケてるやつも、みんな”成長”して現在があることが不思議だ。

そう、あとはそうだ、世の中にはこんなにたくさん人間がいるのだから、子育てだってある程度どうにかなるはずだ、という、意味のわからない前向きな考えもある。完璧な人生を送れるようにサポートするなんて到底無理だけど、なんかやりたいことでも見つけて、少なくてもいいから友だちができて、死ぬときに”楽しかった”と思えるくらいの生き方ができるように育てられたら十全だと思っている。

 

そんなわけで、向いていなそうな育児の記録を後年のためにつけようと思う。長い日も短い日もあると思うし、生来飽き性なので、もしかしたら続かないかもしれないけれど、見守っていただきたいと思う。

本日二〇二〇年三月二七日、通っていた婦人科にて妊娠確認を試みるも、胎嚢がはっきり確認できなかった。まだ異所性妊娠の可能性があると想定されるので、次は四月一日に来てほしいとのこと。